考える葦になれるか?

日々感じたこと,考えていること,日常などについて発信していきます.

話をしていて面白い人、つまらない人

突然だけれども、自分はコミュ力の高い人が苦手だと思うことが多い。別に嫌というわけではないけれど。

 

コミュ力の高い人はすごい。初対面の人とも笑顔で話して、会話自体を楽しんでいるように言える。けれども自分はそれが苦手なのだなと感じている。コミュニケーションが得意な人と毎日顔を合わせる中で、いろいろな話をして、相手も笑顔で話してくれるから自分は仲良くなれたと思うようになる。けれども相手からしたら、自分はそうでもないんだなと感じる瞬間が会話の中で見え隠れして、結局自分は相手からしたらいてもいなくても同じなんだなと思う。

結局、コミュニケーションが好きな人にとっては、いろいろな人と話すのが楽しいというだけで、一つ一つの関係性としては深いものではないのだと思う。もちろんそのような人にとっても、深い関係性を築いている人はいると思うけれど。

自分は、自分が思うほどに相手とは仲良くなれていないと実感するその瞬間が、どうしようもなくつらい。自分はもう今年で二十代半ばになるけれど、中学校、高校、大学と同じような経験を何度もしてきた。そういう思いをするたびに、自分には何の魅力もないのかなと思ってしまう。

 

自分でいうのもなんだが、自分は勉強は好きで、大学に入ってからは研究がとても楽しいと感じていた。自分で問題を設定して、ディスカッションをしながら試行錯誤をして解いていく過程がとても楽しかった。けれども、自分の人とのかかわり方がまずかったのかもしれない。自分が成果を上げて楽しくなってきたころ、周りから揚げ足を取られたり、嫌なことを言われることが増えた。お前は大したことないと言いたいだけだろ、と思ったこともあった。嫉妬だと思うこともできるかもしれない。でも自分は違うと思う。真面目に努力してすごい成果を上げても、揚げ足を取られるどころか、周りから慕われている人もいるから。なんで自分はいつもこうなんだろうと落ち込むことはあったけれど、結局のところ自分に魅力がないからそうなのだろうと思う。

楽観的な見方をして仮に自分に向けられる感情が嫉妬であったとしよう。でも、自分はそんな嫉妬されるような人間じゃないぞと思う。研究以外のほかは何もできないし、趣味といえるものもほとんどない。中学高校と仲良かった友達とは疎遠になるし、大学では友達はほとんどできなかった。休日も基本一人で過ごして、毎週末同じようなことをしてただ時間が過ぎるのを待つことが多い。人は自分の見たいところしか見ていないよなと思う。見えないところで苦しい思いをみんなしているのだから、そういう悪意を向けないでくれと思う。そもそも、自分には勉強や研究しかないのだ。それがなくなったら自分は何のために生きているかわからなくなってしまう・・・

 

もっと話をしていて面白い人になりたかった。別に友達に認められたいとかは思わないけれど、お互いを尊重しあえるような関係を築きたかったと思う。そして何よりも、この人のことをもっと知ってみたいと思われるような人になりたかったなあ。